当ブログにお越しいただきありがとうございます。
このブログは「デカセギ」という名前の通り、海外ではたらく人、はたらきたい人のために、英語の勉強に関する記事を執筆しています。
私自身、いまは海外で働いていて非常に充実したキャリア形成ができています。ではなぜ海外で働けているのか、またそのチャンスをつかめたのかというと、英語ができたからというのが大きな理由です。英語が、私を助けてくれました。
とはいえ、もともと英語ができたわけではありません。20年前は、英語などしゃべる人など全く見かけない地方都市に住む、単なる片田舎の学生でした。
当時は情報も限られていたので、どうやって勉強したらよいのかもよくわかりませんでした。無駄に思える勉強もたくさんし、かなり遠回りをしたような気がします。ただ、遠回りした分、ひとよりたくさん試行錯誤をしてきました。
私のように回り道せず、最短経路で英語を学んでほしい、そして海外ではたらくスタートを切ってほしいと思い、このブログを立ち上げました。
生い立ち
人口5万人に満たない地方都市で育ちました。
当時は商店街も栄えていて、銀行、おもちゃ屋、お菓子屋、洋服や、美容院など、あらゆるお店が商店街に集中していました。多分に漏れず、いまは錆びれたアーケード街ですが、高度経済成長のなごり香が残る時代に幼少期をすごしました。
当時、どのくらい外国人がいたのかわかりませんが、まわりには外国人は全くいませんでした。同じ学校はもちろん、街でも見かけることはほとんどなかったように思います。
小学校6年生までは、英語とは全く無縁の生活を送ってきました。
英語との出会い
英語とはじめてであったのは中学校1年生のときです。
他のこどもとおなじように、学校の授業ではじめて英語を教わりました。
小学校のときにはローマ字を習っていたので、英語も簡単だろうと思っていましたが、発音のルールが分からなくて唖然としました。
ローマ字であれば、「WATASHI」は「わたし」と読めます。しかし英語であれば、「soccer」という文字が「サッカー」になります。当時は、それが理解できませんでした。
文字だけみても読めない。それに気が付いてからは、覚えるしかないのだと思い、がんばって宿題をやりました。
中学生・高校生のとき
中学校のときはどの科目もまんべんなくできたのですが、高校になってから途端に学校の勉強が難しく感じるようになりました。特に物理が苦手で、ほとんど理解できませんでした。
全部の科目をまんべんなく勉強するのは不可能だと思い、英語だけは勉強することにしました。なので、他の科目に比べれば得意でした。
その頃から、進路を考えるときに、おぼろげに英語を使った仕事をしたいと考えていたような気がします。ただ、世の中にどんな仕事があるのかもわからず、学校の先生になるしか思いつきませんでした。そこで、教育学部に進学することになります。
大学時代
教育学部には、英語の先生になりたい人が入ります。
ただ。当時の私は英語が話せず、ものすごくコンプレックスを感じていました。また、英語の先生は英語がしゃべれないといけないと真面目に考えていたので、試行錯誤がスタートしました。
当時、わたしが試した方法は以下の通り
- 大学の先生にきく
- 英字新聞を読んでみる
- 英会話教室(ECC)に入会
- 海外旅行にいく
- TOEICの勉強をする、テストを受ける
- 通訳養成学校にいこうとする(が授業料が高くてあきらめる)
- 歩くの1,000時間ヒアリングマラソンを受講
- NHKのラジオ英会話で勉強
- シャドーイングの本で学習
とにかくいい方法と思うものに出会っては、試すことを繰り返していました
大学時代には、旅行にもたくさんいきました。留学もしてみたかったのですが、その夢はいまだに適わないでいます。
社会人生活
大学卒業後は、先生にはならず、民間企業に就職しました。
その後は一貫して、英語を使った仕事をしています。いまでも、普段やりとりするメールの8割以上は英語です。
- 海外営業歴:10年
- 海外駐在歴(タイ):5年
- 海外出張:15カ国以上訪問
運営者経歴
所有資格
- 小学校教諭一種免許状
- 特別支援学校教諭一種免許状
- 中学校教員一種免許状(英語)
- 高等学校教員一種免許(英語)